パラオ視察報告 1~2日目

北海道議会では昨年9月に日本パラオ北海道議会議員懇話会(パラオ議連)が設立されました。戦後70年にあたる2015年、4月8日から9日にかけて、天皇皇后両陛下が慰霊と平和祈念のために訪問されたことから、ペリリュー州では4月9日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」という祝日に制定されています。それに合わせ、4月8日から12日の日程でパラオを訪問しました。

1日目 移動のみ。4月9日に到着

空港の入国ゲートでは、ベルトパーテーションに日本の国旗がデザインされていた。このターミナルは日本によって建設されたためであるとのこと。空港スタッフが日本語で話しかけるなど、非常に日本に友好的であることを感じる。
パラオと日本との間には時差がない。携帯電話はおおむね使えるが、3Gであるため写真や動画の送受信は困難である。加えて、バッテリーの消費が早い。

2日目
・慰霊式
・ペリリュー島視察
・ペリリュー州知事との食事会
・パラオ大統領表敬(3日目に予定されていたが、急遽変更)

慰霊式
午前にペリリュー島にて慰霊式が行われた。祈祷の後、参列者は玉串を捧げた。

 

ペリリュー島視察
ペリリュー島は人口400~500人。いま、米軍により旧日本軍が作った空港の拡張工事が行われており、その影響で島内は好景気にあり、ペリリュー島の人々は比較的裕福であるとのことであった。。ホテルは米軍で埋まっている。
島内の各所に第2次世界大戦中に使用されたものが残されていた。時間の経過とともに朽ち、植物に覆われていた。案内板が建てられており、観光ツアーのコースになっているものもあるが、密林に覆われ未だ発見されていないものもある。博物館などに移動して展示するなど保存する措置はとられていない。当時の状況を後世に伝える貴重な遺産なので、放置していずれ失われてしまうのはとても勿体ないことではあるが、一方で、朽ちゆく様子をそのままの形で展示することに意味があるという考えもある。

旧日本軍の戦車
旧日本軍の九五式軽戦車は道路わきに放置され、草木が生えている。ペリリュー島には17両の戦車、150名の戦車隊が配置された。3人乗りで、残り100名の少年兵は武器を手に持って戦った。装甲は北海道でいうジンギスカン鍋ほどの厚さもなく、米軍のバズーカの前にはもろい。17両とも全滅した。

旧日本軍の戦闘機(ゼロセン)
林の中にゼロセンの残骸が埋もれており、案内がなければ見つけることが容易ではない。部品の一部は抜き取られている。

旧日本軍の施設
爆撃を受けて廃墟となった。天井に大きな穴があいているところや、2階のフロアが抜けているのが確認でき、2発の砲弾が施設の上から突き破ったことが分かる。日本では一般的にこのような場所は崩落の危険があるため立入禁止であるが、ここでは自由に入ることができる。2階のフロアにも上がれるが、多人数で行くと床が沈むため危険との案内があった(逆に、少人数であれば行くことができる)。万一、崩落などの事故が発生しても自己責任、あるいはガイドの責任とのこと。

旭村のパイナップル工場の跡
大戦中、旭川からの入植者が住んでいた地域の近くにパイナップル工場の跡が残されている。パイナップルはパラオに以前から自生していた物ではなく、外から持ち込まれたものである。工場で加工され、川を伝って舟で運ばれていた。非常に美味で芯まで食べることができるとのことだが、現在はパイナップルの生産はごく一部に限られている。

オレンジビーチ墓地
オレンジビーチでの戦いで米兵1000人、日本兵11000人近くが亡くなった。名前の由来は米軍が海岸ごとに色名をつけた(パープルビーチ、ブルービーチなど)ものの一つという説もあるが、血で海が赤色に染まったことからオレンジビーチと呼ばれるようになったとも言われる。天皇陛下がこの場所を訪問し、慰霊した。
島民が海洋ゴミ拾いのため訪れており、ペットボトル1個が5セントになる。

ペリリュー州知事との食事会

ペリリュー州知事からの歓迎の挨拶
お越しいただき感謝している。天皇陛下に来ていただいたこの日を祝日としている。パラオは暑いのでラフな格好だが、北海道に行くときはスーツで行きたい。 陛下の来島によって、お祝いしている。日本との関係が強固になるようにしたい。戦後80年、日本からのサポートに感謝している。 日本の国旗は太陽、パラオは月を象徴している。お互いに照らし合っていて、そのような関係を築いていきたい。
森首相のときに、日本のどういうところが好きか訊かれたのに対し、①時間どおりであること、②環境や人などすべてに敬意を払っていること、③きれい(清潔)であることと答えた。私の父は日本の学校で勉強しており、いつも時間通りであった。私の時代はアメリカで、父からはお前らは甘えていると言われている。
前の知事は亡くなったが、次に知事になってくれと言われた。トロールに20年、議会で働いていた。とても忙しく、ペリリューに帰ってくると平穏に感じた。
今、米軍が飛行場を整備している。ぜひ北海道からペリリューに飛行機で来ていただきたい。直行便が成田からパラオに飛んでおり、ツーリストがもっと来てくれることを望んでいる。

村田会長からの表敬の挨拶
訪問の受け入れ、そして昼食会の心遣いに感謝申し上げる。戦没者が築いた地域との絆を受け継いでいきたい。札幌医科大学ではパラオの医師を受け入れ、研修を実施した。また、昨年から北海道とパラオの高校のオンライン交流がおこなわれている。パラオは野球が人気のスポーツであり、チームの様に関係を強固にしていきたい。道民から寄付された野球道具を寄贈する予定。ロバーツ知事に野球のユニフォームを持ってきた。北海道日本ハムファイターズで、知事の名前が入っている。背番号は179で、北海道の市町村の数。今後様々な交流機会を作っていきたい。ぜひとも知事にお力添えいただきたい。

昼食
ビュッフェ形式で、お祭りなどの行事のときにこのような形でふるまわれる。ココナッツジュース、バナナ、タロイモのだんごや揚げ物、魚、カニ、エビなどの魚介類、肉やソーセージなど。パラオでは以前からタロイモ、魚、ココナッツなどのフルーツが主に食べられており、それらはシンプルな味であった。一方、肉やソーセージなどは外国(主にアメリカ)から入ってきたものは比較的濃い味付けで脂っこい。後述するが、食生活の変化はパラオの医療課題にも影響している。料理に虫が入らないようにするため、2人のスタッフが木の枝で常時あおいでいた。

パラオ大統領表敬

村田会長からの表敬の挨拶
貴重なお時間をいただき、面会にあたり16名を快く受け入れていただき感謝申し上げる。北海道とパラオのつながりについて。札幌医科大学において国立病院のあるナース医師が3ヶ月間、画像診断や放射線治療などの研究を行った。北海道の水産高校による太平洋での実習の途中では毎年パラオに寄港しており、パラオの高校の学生を招いて日本文化の紹介などを行っている。
一昨年からは北海道の高校とパラオの高校が英語の授業でオンライン交流を行っている。北海道とパラオの友好が一層深められるように、天皇陛下のパラオ訪問10年を機に、北海道議会議員連盟を設立した。
今日はペリリュー島にて西太平洋戦没者の碑の前で献花を行った。明日はパラオ議会で議長と懇談した後、モデクゲイ高校を訪問して校長先生を表敬する。高校では今後、北海道の高校とオンラインで接続して、お互いの分野や生活を紹介し合う行事を計画している。両チームの将来を担う若い世代が互いの歴史や文化を尊重して学び合うことは両地域の発展に大変意義深いものだと思う。
パラオでは野球が人気のスポーツだと聞いている。明後日は球場にて子どもたちに声をかけて野球を楽しむイベントを開催する予定。このイベントで、北海道民からの寄付で集めた野球道具の寄贈式を行うこととしている。
今日の訪問が両地域の交流のさらなる拡大につながることを期待しており、大統領閣下に引き続きのお力添えを賜れれば幸いです。

ペリリュー州知事からの歓迎の挨拶
※聞き取れなかった部分も多かったが、おおよそこのような内容であった。
16名のみなさま、ようこそパラオへ。そして再来してくださってありがとうございます。パラオと日本はとても特別な関係がある。1000以上の日本の単語が使われている。
今夜出発しなければならないことから、私のスケジュールを気遣わせてしまったが、みなさまにとてもお会いしたかった。お忙しい中来ていただき、感謝申し上げる。
引き続き、みなさまの健康、私たちの医療、教育、そして漁業研修における協力関係、高校での連携のために尽力する。
釣りやダイビング、登山が好きで、パラオは登山はできないが、北海道は山がある。山や雪も好きだ。北海道はとても美しい。北海道の雪は世界一だ。スキーやスノーボードも好きだ。
この友好関係とパートナーシップに感謝する。そしてお互いに成長し続けることができることを願う。このたびペリリュー島に行かれたこと、歴史を認識し、お互いに尊重することが平和につながるものと考えている。
パラオ大統領の部屋には各国からの贈り物が飾られていた。アメリカから送られた野球関係のグッズや台湾から贈られた絵などがあった。中にはマトリョーシカもあった。こちらも後述するが、パラオにおいては国の財政における外交のウエイトは大きく、大統領の外交力を感じた。パラオの国技は野球であり、大統領の部屋から野球場を眺めることができた。

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