江藤新平復権・島義勇顕彰式典 (第一部)

江藤新平復権・島義勇顕彰式典が2月1日に佐賀県で行われ、佐賀県の山口祥義知事、江藤新平、島義勇の子孫の方々、功労者団体等、佐賀県市町村首長、北海道副知事などたくさんの方が参加しました。島義勇は佐賀県(当時の鍋島藩)出身で札幌市の礎をつくった人物です。北海道神宮では毎年顕彰の集いが開催されており、わたしも佐賀県出身ということで参加させていただいています。江藤新平は幕末から明治にかけて活躍した人物の一人で、議会制度の導入や三権分立、国民皆教育など現代においても重要な制度を導入しました。

式典では冒頭、佐賀の八賢人おもてなし隊による寸劇が行われました。佐賀戦争前の島義勇と江藤新平のやり取りを描いたもので、何のために戦うのかわからなくなったが戦うしかなかったという二人の心情が表現されていました。

続いて山口祥義知事から、開催に際し次のような挨拶がありました。
江藤と島が処刑されて150年が経つ。佐賀戦争は、二人の志を晴らすような戦いではなく、巻き込まれた面が多かったのではないか。
島は北海道神宮で毎年4月13日に顕彰され、私も招かれている。札幌では愛されているが、佐賀では顕彰するものはいなかった。鹿児島(薩摩)山口(長州)、高知(土佐)では博覧会が行われているが佐賀だけ全く予定がなく、これでいいのかと思った。
江藤は国民皆教育、三権分立、裁判制度など次々と設計した。鳥瞰力と想像力がある人間だった。しかし、佐賀では江藤を盛り上げるという雰囲気にはならなかった。彼らが処刑され、その2年後に佐賀県はおとりつぶしになった。県民は自信を喪失した。それが今でもひきづられているのかもしれない。しかし、世界が変革期を迎えどのように設計していくか問われている時代の中で、私は江藤新平の復権をこのタイミングで発信していくことに大きな意義があると確信している。
江藤と島の想いが未来に花開くことを願っている。

この後、殉国十三烈士の碑の前で献花が行われました。私も江藤と島に想いを寄せながら献花を行いました。

最後に、佐賀東高校演劇部の生徒から江藤新平復権宣言が読み上げられ、山口知事が署名しました。復権宣言の全文はこちら

復権宣言
~江藤新平の崇高な志を未来へ〜

佐賀の先人たちは明治維新という
日本社会を根底から転換する激動の時代を
過去の経験や常識にとらわれず
大局観と高い「志」をもって駆け抜けました

なかでも江藤新平は
四民平等や三権分立 民主的で公平な司法制度 国民皆教育
をはじめとする今の日本の骨格を創り
「人権の父」と称せられる偉大な功績を残しました

このような傑出した功績があるにもかかわらず
江は不運にも佐賀戦争に巻き込まれ
志半ばにして40歳の若さで刑死させられました
政府による名誉回復はそれから40年もの歳月を要しています

私たち佐賀県民はこれまで 江藤の功績や復権に
詳しく触れることができなかったことについて
今こそ真摯に受け止めねばなりません

没後150年を超えて江藤を輩出したこの地に生きる
私たち佐賀県民としてなすべきこと

それは決して色あせることのない江藤の比類なき偉業と
それを打ち消してしまった佐賀戦争の本質を
皆が知り語り そして佐賀の誇りを取り戻すことです

江藤の復権は 次代の佐賀県を日本を
そして世界を創っていくことに繋がると確付しています

私たちは 江藤の復権の取組をより大きなうねりとし
その崇高な「志」を未来へと継承していくことを ここに宣言します

令和7年2月1日 佐賀県知事

この式典は佐賀県立博物館殉国十三烈士の碑前のテント内で行われましたが、当日は天候が一変して土砂降り、山口知事や他の参加者は江藤と島の想いではないかとお話しされていました。