北方領土対策特別委員会道内調査 2日目 ①北方領土館・別海北方展望塔・納沙布岬北方館・望郷の家
北方領土対策特別委員会道内調査2日目の日程は次の通り
① 北方領土館・別海北方展望塔・納沙布岬北方館望郷の家
② 元島民(根室市)との意見交換
③ 1市4町・関連団体との意見交換
① 北方領土館・別海北方展望塔・納沙布岬北方館望郷の家
いずれも北方領土に関する展示等が設けられている施設です。昨日の羅臼展望塔と同様、「北方領土」隣接地域到達証明書が発行されるポイントとなっています。
・北方領土館
北方領土復帰期成同盟の施設。昭和20年当時の暮らしの写真やビザなし交流の様子などが展示されています。元島民であり、北方領土問題の「語り部」の福澤英雄氏がこの施設で講話することも多く、資料として使う個人所有の当時の貴重な写真などが展示されています。

・別海北方展望塔
国道244号線沿いにある道の駅おだいとうの2階には北方領土に関する展示室があり、3階の展望室では、国後島を眺望することができます。この日はくもっており、野付は見えましたが、その先にうっすら国後島の山が見えました。建物の前のテラスには、「四島への道 叫び」のモニュメントがあり、「島を返せ」と叫び続ける国民の総意を表しています。

・納沙布岬北方館・望郷の家
北方領土問題の発生の状況や歴史的経緯などの資料を展示している施設です。根室半島の先端に位置し、天気がよければ歯舞群島が見えます。貝殻島までの距離はわずか3.7kmです。
館内での説明です。
・1855年の日露通好条約によって、択捉島とウルップ島の間を国境とすることが定められた。
・1875年の千島樺太交換条約によって樺太がロシア領、千島列島が日本領となった。
・サンフランシスコ講和条約に調印した際、択捉島までが日本の領土ということになっていたが、ソ連は調印しなかった。その後、北方領土まで侵攻が続いた。
・歴史的に北方領土が他の国の領土となったことはこれまでない。
・占守島の戦いについて、ロシアでは初めて日本に勝った戦いとして大きく認知されている。
・樺太を振興していたソ連軍は、留萌釧路線まで侵攻しようとしていたが、アメリカに止められた。そこで樺太の軍は択捉島に入った。
・島から逃げた島民もいたが、霧の夜に船を出したため遭難して亡くなった方もいる。
・島に残った島民は、漁業を教えるなどソ連軍のお世話をしていた。虐待などではなく協力して共存していた。
・2年くらいたってから、ソ連から屋外退去命令が出され、ソ連国籍を取らないのであれば島を出ていくことになった。
・島から退去させられた島民は真岡に送られ、2年過ごした。
・最終戦前17291名のうち、真岡から帰ってきたのは8800名と記録されている。
・エリツィン大統領の頃に領土問題の話が進んだが、プーチン大統領になって戻った。
・日ソ共同宣言で2島返還して終了という話もあったが、合意していない。
・1939年から北方墓参が始まった。
・エリツィン大統領のときにビザなし交流ということで、住民ベースの交流が行われた。ただし、監視の目は非常に厳しくうかつなことは発言できなかった。
・80年が経ち、すでに住んでいるロシアの島民もいることから、北方四島の返還という表現から帰属という表現になっている。
・北方領土に住むロシア人は年金の優遇を受けている。
・択捉島ではこのところ急速なリゾート開発が行われている。以前は水産加工業しかなかった。



