母子里・朱鞠内の視察報告
8月6日に行った、母子里・朱鞠内の視察の報告です。
調査地1か所目。北海道大学北方生物圏フィールド科学センター森林圏ステーション雨龍研究林(北海道大学付属雨龍演習林)

北海道大学雨龍演習林はわたしが北大にいたころに研究していた場所で、これまでに数回訪れ、針広混交林や天然林施業について議会で取り上げています。以前に訪れたことについてはこちらをご覧ください。
http://fuchigamiayako.jp/archives/8616
議会での質問についてはこちらをご覧ください。
https://pref-hokkaido.gijiroku.com/g07_Video_View.asp?SrchID=5128
天然林施業についてはあまり認知されておらず、政策的に進んでいない点も多いことから、まずは多くの人に知っていただくことが必要です。そのため、実際に施業を行っている現場を視察しました。
研究林を訪れた理由はもう一つあり、経営が厳しかった時代に朱鞠内湖周辺の林を王子製紙に売却され、その後に朱鞠内ダムと発電所が建設されましたが、それにあたり、多くの朝鮮人が強制労働させられ、命を失ったという歴史があります。後に遺体の発掘作業が行われることになりました(後述)が、研究林の神沼公三郎教授も「あのとき売っていなければこのようなことにならなかった」との思いからこの活動に関わっていたとのことです。わたしとの直接の面識はありませんが、大学院生だった時代と被っており、もしかすると会ったことがあるかもしれません。
天然林施業に関する研究について
・天然林の調査区
戦後、西洋の施業に倣って天然更新の施業が行われたが、この地域では林床がササ(クマイザサ・チシマザサ)に覆われるため、ねらい通りの更新が進まず失敗とみなされ、これまであまり採用されていない。この調査区は、経営が非常に厳しかった時代に、何かあったときの最後の財源として保存してあった場所である。倒木更新(木が倒れた場所はササによる被圧や厚い葉の層の影響を受けないため、倒木上に実生が定着している)が観察できた。

・ミズナラの大径木を伐採した後、天然更新が行われている調査地。一般的な施業では皆伐後に一斉に植林をする施業が行われているが、この調査区ではミズナラの大径木を択伐した後、周囲の母樹や埋土種子など天然の力を利用しての更新が観察された。中には比較的材としての価値が高いマカバ(ウダイカンバ)の定着も確認できた。

・ミズナラ長期観察林。わたしがミズナラの更新について調査していた場所。この調査区では比較的ミズナラが優占しており、その成立要因を研究するために成長錐を使って樹齢を測定した。結果、ミズナラの樹齢構成は200年前後の一山分布で、何らかの要因で一斉に更新したことが分かった。その要因の一つとしてササの一斉開花後の枯死が考えられていた。ササの開花周期は60~120年と言われ、これまで研究を進めることが難しかったが、数年前に一斉開花したため、その後のモニタリングが行われている。

人工林施業は植林、下草刈り、間伐など管理コストが高く、一様であるために多様性も低く、何かの影響で全滅する恐れもある。林齢によって施業内容を決めるが、樹木の成長にはばらつきがあり、同じ林齢でも成長の早い場所もあれば、そうでない場所もある。林業には多額の時間と費用がかかり、公的補助がなければ運用が難しく、公共事業的な性質を持つ。施業に対して補助金を出していくため、決められた通りの施業となる。結果、実態とのミスマッチが起きる。林型を見た施業よりも補助金収入を最大化する施業が行われているのが実態であり、地元の食材をわざわざ捨てて高い輸入食材を使うようなものである。

一方、北海道には天然更新するポテンシャルがあり、天然林施業を行うと、択伐後に定着する樹種を指定することはできないものの、多様な樹種構成となり、中にはウダイカンバのような価格が高い樹木が育つ。しかも低コストである。しかし、天然林施業に対する補助金の適用が難しいのが現状である。ヨーロッパでは林型を見定めて計画を立てるフォレスターと呼ばれる技術者がいる国もあり、日本でも一部でそのような動きがあるとのことであるが、制度的な組み込みには至っていない。
戦後に植林された人工林が利用期を迎えている北海道では、伐採後つぎの数十年どのような施業を行うのかを決める時期に来ている。北海道のポテンシャルを十分に活かした北海道らしい持続可能な林業の形を目指し、試行を始めるチャンスが訪れている。

調査地2か所目。笹の墓標強制労働博物館及びその関連場所

・笹の墓標強制労働博物館
笹の墓標強制労働博物館ではアイヌモシリのこと、鉄道・ダム建設と強制労働者の歴史、遺骨発掘とその返還プロジェクトや国際交流プログラムなどが体系的に展示・紹介されています。
戦時中、朱鞠内ダムの建設、それに伴う鉄道の迂回敷設工事のために多くの朝鮮人が強制労働させられました。借金を背負って連れて来られた人のほか、稼げると騙されて来た人もいたとのことです。労働者の労働・生活環境は劣悪で、いわゆるタコ部屋。工事は現在の技術をもってしても5年かかるところ、当時の技術でわずか5年で完成しました。そのような中、多くの人が命を落としました。暴行で殺害された人もいたそうです。日本人は墓地に埋葬されましたが、朝鮮人は墓地に入れられず、穴を掘ってその中に遺体がまとめて埋められました。1976年に、ささやぶの中にたくさんの遺体があるとのことで掘り起こして遺族に返すプロジェクトが立ち上がりました。そして強制労働犠牲者を記憶し歴史を継承するための笹の墓標展示館が旧光顕寺に設置されましたが、雪の重みで崩壊。その後、日本や韓国のみならず世界中の市民からの支持と支援を受け、2024年に笹の墓標強制労働博物館がオープンしました。支援者の中には作家の森村誠一氏もあり、この地を舞台に描いた推理小説『笹の墓標』の収益を全額寄付されたとのことです。
館内には朱鞠内ダム深名線工事殉難者惣儀の碑が建てられていました。『殉職』ではなく『殉難』者であることが注目すべき点です。
パネルで記されていた年表の1945年のところには、「米国、広島と長崎に原爆投下。多数の朝鮮人・台湾人・中国人・東南アジアの留学生。連合軍捕虜なども死亡。」とありました。唯一の被爆国という表現がよくありますが、被爆したのは日本人だけではないというメッセージが込められています。
ところで、わたしが中学のころの修学旅行で広島に行った際、在日朝鮮人の被爆者の方の講話を聞きましたが、その際に、戦時中の日本での厳しい朝鮮人差別について言及した中で、「このような言い方もおかしいが、原爆は日本人も朝鮮人も差別しなかった」と話されていたことを思い出しました。原爆投下後の対応でもかなりの差別があったとのことです。当時はピンとこず、居眠りして注意される生徒も数名いたのですが、今になってその訴えの記憶とつながりました。当時の修学旅行のプログラムに組み込まれていたこともすごいと思います。

・殉職者慰霊塔
この塔はもともとはダムの一部であったとのこと。強制労働させられたのであり、「殉職」という言葉に違和感があるという指摘があります。

・雨龍町営墓地
雨龍町営墓地に埋葬されているのは日本人。朝鮮人の遺体はその外にある笹やぶの中に埋っていました。腐敗した分の空間が押しつぶされて地表面が凹んでいることで埋まっていることが分かるとのこと。まだ発見されていない遺体もあると思われます。


笹の墓標博物館にはレインボーフラッグが掲げられていたのですが、どのような関わりか尋ねたところ、博物館でのワークショップに参加する方にはLGBTQの方も多いからとのこと(人権という点で課題が共通している)。数か所に穴があけられているのは、風を逃がすためであり、特段の意味はありません。
8月6日は広島平和祈念の日であり、別の会合の挨拶で、笹の墓標について言及したところ、道内の他の地域でも強制労働が行われていたことについて語る人があり、「忘れたい歴史」であるという。加害した記憶を蒸し返されるのは心が痛むことです。しかし逆に、わたしたちは広島、長崎のようなことを忘れたいと思うことは決してありません。このような歴史を二度と繰り返さないために、強制労働のことを語り継いでいかなければなりません。

