母の永眠に際し
11月17日未明、母節子は89歳にて永眠しました。葬儀に際しまして、ご参列並びに御霊前、供花、お悔みのメッセージ等をいただき誠にありがとうございました。みなさまから温かいお言葉を頂戴し、きっと安らかに旅立てたことと思います。お心遣いに深く感謝申し上げますとともに、改めて御礼申し上げます。
母はとても信心深く、毎日仏壇でお経をあげていました。そして、わたしたちにこう言い聞かせていました。
「ありがとうありがとうていいよったらちゃーんとほとけさんのまもってくんさっけんが」
若いころのわたしは、「はいはいわかってる」「めんどくさいなあ」くらいに思っていたのですが、後々に社会に出て企業に勤め、管理職を担うようになったときにその言葉が、全く違う意味で役に立つ時がきました。平成中ごろはまだ圧力や暴力による管理は珍しくなく、そのようなことが苦手なわたしはどうしたものかとドラッカーやカーネギーなどの本を読み漁っていました。そのような中、「お願いし、感謝することで人は動く。たとえ力で動かすことができても心は動かせない。」という内容が目に留まり、はたと母の言葉と重なりました。このやり方に間違いない、必ず何かが守ってくれると確信することができました。管理職において感謝の心で人を動かすことを掲げることは令和の今では珍しくないかもしれませんが、当時として甘いぬるいと馬鹿にされる、勇気の要る試みでした。母としては、人間関係がうまくいくから幸せになれるという意味だったのかもしれませんが、仕事の上で大きな意味がありました。
また、わたしたちきょうだい4人とも仲良く、仕事を続ける、家庭を持つなどそれぞれの形で自立しており、住む場所も佐賀県内外それぞれですが年末年始には実家に集まります。苦難を抱える場面はあったとは思いますが、低い可能性であってもひとたび起こるとその後の人生に重篤な影響を及ぼすこと(例えば大きな事故や被害・損害など)には奇跡的にどれ一つ接することがありませんでした。あまり超自然的なことには関心がないのですが、わたしたちの中では母が毎日祈ってくれていたからだと思っています。
2年くらい前に自宅で段差につまづき骨折して以来、母は介護施設や病院で過ごすようになり、認知症が進行し次第に家族の名前も思い出しにくくなっていきました。しかし、いら立ちや不満などのネガティブな感情を出して周囲を困らせることはあまりなく、亡くなる2週間ほど前に会ったときもベッドの上で「ありがとう、ありがとう」と言っていました。長年にわたり穏やかに生き続け、心の引き出しの上の方に良い言葉だけを入れてあったのでしょう。わたしたちも将来認知症になったとしてもいつも感謝の言葉を口にできるような生き方をしたいものです。
母の言葉を紹介させていただき、お礼の挨拶とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

